一通の封筒
ある日、家に帰ったらポストに少し大きめの封筒が入っていた。
差出人を見ると、高校時代の懐かしい同級生の名前。
「なんだろう?」
封筒の大きさとしては定形外で、触ってみると少しふわふわしていた。
「なんだろう? 」
Tシャツにしては厚みがない。離婚届の保証人になれとでも言うのだろうか。まさかね。彼女は10年以上も前に結婚していて、今では2人の子供の母親である。上の子どもは中学生かもしれない。彼女は幸せな専業主婦で、数年前に同級生の数人で飲み会をやったときには楽しそうな結婚生活の話もしていた。親子も仲が良さそうだった。だから今更離婚というわけでもあるまい。
中身が気になり、マンションの階段を上りながら封筒を開ける。中には手紙と小冊子のようなものが入っていた。
肉筆の手紙
メールに慣れた昨今では珍しい手紙が入っていた。二つ折りになった便せんを開くと、懐かしい筆跡で近況を尋ねる文が綴られていた。何年も会うことができていないからと、体調を心配してくれていた。
そして久しぶりに「お茶でもしよう」という誘いのひとこと。彼女は専業主婦なので、こちらの都合に合わせてくれるという。さらに、何を思ったのか、当方の近所にまで来てもいいと言っている。
どうしたんだ。この手紙は?
彼女の家からここまで、どう頑張っても電車を乗り継いで片道一時間以上はかかるというのに。来るというのか? 何のために?
心配してくれている文面のありがたさより、不信感しか沸かない。
聖教新聞
同封されている小冊子のようなものを取り出して開くと、最初のページに「聖教新聞」と書いてある。
広げると久本雅美の写真がでーんと載っている。その下にグルメレポーターの彦麻呂の写真。
何もかも合点がいった。なるほど、すべて分った。
創価学会の勧誘だな、これは。
思い当たることがあった。
思い出
彼女とは高校時代は仲良しグループだった。卒業してからもしばらくは交流が続いていた。もちろん彼女とも。何年かして、彼女に誘われて行った場所は某学会の集会みたいなところ。出てくる人、出てくる人すべてが病気が治っただの、人生が好転しただの。
その頃は創価学会どのような団体か全く知らなかったので、まるで町内会の会合みたいなもんかと気楽な気持ちで行って、気楽な気持ちで帰ってきた。その後勧誘はあったような気もするが、別にしつこいこともなく、入会せずに帰って来ることが出来た。
あれからどれくらい経ったかな。20年近く経っているかも、いやもっとかもしれない。彼女はまだあの団体と繋がっているようだ。それも何年も会っていない同級生を未だに勧誘しようとするほど深くつながっているのか。
手紙には家の電話番号と携帯電話番号とメールアドレスが書かれていた。
「連絡ちょうだい」と屈託のない台詞が書かれている。
こちらもあれから成長し、社会経験も積んだ。
かつての自分なら、懐かしがって連絡し、近況を報告し、やんわりと断わったと思う。けれども、良い意味でも悪い意味でも知恵がついた。
結局のところ、こっちの時間を取られるのも嫌だし、議論になって気持ちを乱されるのも煩わしい。
完全無視することに決めた。
何か連絡が来たらその時にきっぱりと断れば良い。いや着信拒否しておくか。実のところ、何年も会っていないし、面倒くさがりの自分は年賀状を毎年出しているわけでもない。もはや関係を絶っても何も困らない。向こうが旧友を失うだけである。
突然の旧友からの手紙にご用心。